2010年4月19日月曜日

オックスフォード・リーディング・ツリーを手放す時 (1年生11月)

  渡米して3ヶ月経ったころ、娘が部屋にあるオックスフォード・リーディング・ツリーの本を見て、
  「これ、誰かにあげようよ」
  と言いだした。

 ちょっーっと待ったー!
 
 娘は、自分が使わなくなったものは誰かにあげたい、お友達に贈り物をするのも大好きなプレゼント魔である。しかーし、そこらの古着とオックスフォード・リーディング・ツリー(以下、ORT)を一緒にするでない!あのORTを! 



 ORTはイギリスでの小学校の教科書と聞くし、どこか関東のイマージョン教育を行っている小学校でも、これを教科書として使っているそうだし、何よりも日本にいた頃、自分のお小遣いを削ってこつこつ Stage 7 まで買い揃えた気合の入った代物である。もう少しこの子達を手元に置いておきたい。イラストだって、めちゃくちゃイケてるじゃないか。
 確か日本にいた頃は、6冊ずつ小出しにして大事に大事に読ませてきた。娘はアメリカに来る前、Stage7 までは読み終えていなかったはず。そこで、娘にStage 7 の more stories を読むよう促してみた。が、

「何これ、簡単すぎ~! オーホ

高笑いである。
 
 渡米して3ヶ月だ。これを日本にいた時の私の努力の賜物だと言わずして何と言おうか。

 いや、言い方を変えよう。恐らく日本にいたころ、娘は既に Stage 7 くらいは読めていたのだと思う。だって、実際、文も短い。なのに、あまりにも遠慮がちに進めすぎた。これはまだ難しいかなと思ったり、段階的にとか考えたりする。それは、恐らく英語育児を特別視し、慎重になっていたからだと思うが、英語育児に限らず、わが子を過小評価していることって実は多々あると思う。背伸びすれば背が伸びるってこともある。

 しかし、わが子ゆえに評価するのが難しいのも事実だろう。
 背伸びさせすぎて、ふらつく姿も見たくない。
 そんな時、こんなものが助けになるかもしれない。

  http://www.lexile.com/fab/

 アメリカのMeta Metrics社によるレクサイル指数
 英語教育に携わっている人はご存知かもしれないが、全米の小学校~高校生の半数以上が利用していると言われている読書の目安になる指数である。難易度別に0L~1700L くらいが設けてあり、例えば、ハリー・ポッターシリーズだと880L からある( L は単位で、Lexile の L だと思われる)。ただし、BR は Begining Reader の訳で 0L 以下のことであり、これらの本は大人が読み聞かせしてあげた方がいい場合がある。

 具体的な使い方だが、特定の本があって、どれくらいの難易度か調べたい時は、単純に右側の”look up a Book"”Title" 欄に著書名を入力して検索すればいい。例えば、Harry Potter を入力すると、9冊くらいが検索されるが、レクサイル指数にばらつきがある。それを指数の少ない順(つまり簡単な順)に並び替えるには、Sorting” の所を"Lexile Measure"にすると可能である。

 ちなみに、このレクサイル指数、何を基準に決められているかと言うと、語彙の頻出度文の長さの2点だそうだ。"ages:8 and up” (8歳以上対象)とかあるが、年齢基準はあくまでも参考程度にしたらいい。Lexile が最も否定しているのは、日本でよく表記されているような、例えば ”小学二年生以上” といった学年による表示らしい。学年をベースにした指数は、あくまでも全国テストでのその学年の平均点を基準にしているからダメだと言うのだ。同学年でも生徒間に能力の差があるから、というのが理由なのだが、ここら辺が実に欧米的である。

 Lexile のポリシーを詳しく知りたい方は、上部 ”About Lexile Mesures" の中の "What is a Lexile Mesure?" を読んで頂きたい。そこには、具体的な指数に固執せず、例えば800L であれば、下 100 (700L) から上 50(850L) をその子の sweet spot (コア部分。守備範囲)だと思えとか、レクサイル指数は本を選択する際の一つの判断基準ではあるが、その他にも読者の興味の対象なども同時に考慮しなくてはいけない等と書かれている。
 
 この”読者の興味の対象”というとこ、好きだ!こういうこと書いてくれると信憑性が増すというもの。
 私などは、子供の興味のあるジャンルをとことん読ませたいタイプだが、もしフィクションばかり読んでいるから同レベルの伝記などを読ませてみたいと思ったら、先ほどの "Find the riht Book for YOU" のページの ”I don't know my Lexile measure ” のところで、学年を入れ、クラスの中で読んでる本の難易度を自己診断して進むめば、”What kinds of books do you like?” と聞かれる。そこで、”Biography"(伝記)などと入れてサーチすれば、同レベルでの伝記の本が検索される。そして、得意なジャンルとは違うカテゴリーの本だから、少し指数を下げたものからスタートさせてみようとか、判断したりすることが出来るのだ。
 一方、一度自分のレクサイル指数が分かれば、My Lexile measure is” の欄を利用すれば良い。
 
 娘の小学校では 3rd Grade になると、読解に関するテストをパソコンで行って(クイズ形式で楽しいらしい) レクサイル指数を判定し、教師がそれに沿って生徒に宿題で出すリーディングの本を決めているという。これを 2nd Grade からやっている担任の先生もいる。

 驚くべきことは、宿題として先生から渡される本がクラスの中でひとりひとり違うということだ。これはあくまでも想像だが、先生は、ある程度のレクサイルの数値幅を持たせて一度に20冊ほど本を調達し、それをクラス内でのリーディング熟度別グループ(1st Grade の時は5グループあった)毎に振り分けて、同じグループ内の子たちにその同じレベルの本何冊かを回し読みさせているのではないかと思う。
 言い換えると、自分のレベルに合った国語の教科書が何冊かあって、ひとりひとりがその時に使っている教科書が違うようなもので、先生はさぞかし大忙しだろう。アメリカの学校教育がどれほどリーディングに心尽くしているかよく分かる。何せ先生達ったら、リーディングさえしていれば語彙はもちろん、スペリング能力Writing強化で交換日記投入ご参照)さえも何とかなると思ってんだから。(あ、言っちゃった!)

 個人的にレクサイルの一番いい点は、誰と比較することなく、一度自分の指数が分かれば、その上を目指して読書力を伸ばしていけることだと思う。つまり、自分の中での絶対評価が可能なのである。
 そしてそして、なんと検索された本の横のWorldCat のタグから、その本が自宅周辺のどの図書館で借りられるのか、調べることだって出来る。日本でも和書で、膨大なデータベースを駆使して、このようなシステムをぜひ構築して欲しい!

 以上、レクサイル指数をプッシュしまくったが、現実問題、日本で英語を勉強している子供たちがネイティブと同じ物さし、という訳にはやはりいかないのだろうと思う。参考までに下にキッズブックスというところでの、レクサイル指数と日本の学年との比較表を載せておく。
http://kidsbks.co.jp/?mode=f3

 私はこの表で、日本の中1の英語学習がネイティブの小学1年生レベルであるのを見て、ちょっとしたショックを受けた。幼い頃からの家庭内国産バイリンガル計画、やはり必要なんじゃないかな。
 
 また、私がレクサイル指数を知る前には、こんな本を参考にしていた。この本では、日本人学習者にとっての読みやすさ基準というものを独自に設けている。レクサイルでは ORT をサーチにかけても出ては来ないが、(何せイギリス系だし、アメリカでは殆どORTを知る人はいない)、この本ではしっかりページを割いて紹介されている。



 そういえば、その後、ORT を生かす道を見つけた。
 ORTは、今では Stage10 あたりまで出版されているのだろうか?でも、もう今後、そこまで買い揃えることはないと思う。が、手持ちの Stage7 までを使って、一冊一冊、娘に要約のスピーチ(解説)をしてもらうという方法を思いつた。

 確か1st Gradeのこの頃、つまり8月末に新学年が始まって3ヶ月経った11月のある日、先生から、「宿題で渡しているリーディングの本について、毎週金曜日、個別に質疑応答の時間を設けようと思う」という話があった。先生は、「大丈夫、大丈夫、質疑応答ったって、私が、登場人物の名前を聞いたり、メインキャラクターが誰か聞くくらいだから。あとは、その子が最後にどう変わったか聞いてみるだけだから」って言っていたが、
 ”~だけ”って、なに?!
 ”その子が最後にどう変わったか”なんて、本の要約もいいとこじゃないかっ!
 て思ったものだ。。

 そして、娘は今 2nd Grade も終わりを迎えようとしている。2 年生の締めくくりとして、ORT のサマリーをやるというのは、うん、確かにいいアイディアだ。(はい、実にそのアイディアを思いついてから、1年もの年月が流れました)

 そして、サマリーをやらせた後、その後は・・・。いつかは、この子たちを手放す日が来るのだろうか・・・。一抹の寂しさを覚えずにはいられない。
 ORTでこんなだから、ワールド・ファミリーを嫁がせる際にはどうなることやら・・・。

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2010年3月18日木曜日

Writing強化で交換日誌投入

 新学期が始まって三ヶ月程たった頃、先生がみんなのライティング強化に乗り出した。今までライティングといえば、毎日学校で書く絵日記 (Journal) くらいしかやっていなかったから、素人目でも、何とかしなくちゃね、と思っていた。

 さて、日本では国語の補助教材に、 『うつしまるくん』というのがある。実際、今、娘は毎週土曜日に日本の補習校に通っているが、そこでも使っている。これは文章が書いてあって、ひたすらそれを書き写すだけのワークブックだ。”うつすだけで国語の力がつく”なんて書いてある。

 これ、父兄の間では賛否両論あるが、私は良いと思う。就職したての頃だって、まず先輩の真似をして一通りやり方を覚え、それから初めて独自のスタイルやアイディアが浮かぶというもの。ものを書くのだってそうじゃないか、人生ものマネだ、と思う。
 
 が、しか~し、アメリカではこの真逆を行っている。(まただよ)
 
 新学期が始まってすぐの父母会で、クラス担任が一年間の目標などを説明してくれるのだが、その時に配られた”Writing”に関する資料を見ると、こう書いてある。

 
 (下部要約) 自分で勝手に作り上げた間違った言葉(invented spelling。nights をnytsとする等)を使って書くことは、ライティングの初歩段階においては至極自然なこと。1st Gradeは自分が書けない単語でも書きたがるものだ。invented spelling は書き手の世界を広げ、考えを羽ばたかせる。未熟なスペリングの不安によってアイディアが妨げられる必要はない。訂正というものは、ライティングのプロセスにおいては、後ですればいいこと。

 とはっきり書いてある。
 あっぱれである。
 
 実際、学校で先生が絵日記の時間に教えることと言えば、書き出し大文字終わりピリオド。そして finger space (フィンガー・スペース) くらいである。finger space とは、単語と単語の間に人差し指と中指の二本を置いてしっかりスペースをとるための方法をいう。
 以前、絵日記の投稿で、先生がみんなが使いそうな単語をラックに掲げていることを書いたが、子供たちの書きたいことは、そんなラックにある単語だけじゃ、やはり足りないのである。因みに、絵日記の時間にボランティアをしていて、一番多く聞かれたのは、「awesome (格好いい!凄い!)ってどうつづるの?」ということだった。男の子は大抵、この言葉を書きたがる。
 
 いずれにしても、子供たちの絵日記は間違いだらけである。そして、先生もいちいちそれに赤ペンを入れたりはしない。こういう時こそ親の出番だと思い、娘の絵日記の間違いを訂正しよう思ったが、何だか本人の書く意欲をそぐようでやはり止めてしまった。

  こんな状態だから、『うつしまるくん』の英語バーションなど、恐らくどこを探してもないだろう。
 
 
 さて、先生が、ライティングの強化に選んだのは、Ducky(あひるの子のぬいぐるみ)を使ってクラス内で日替わりで交換日誌をするというものだった。日誌を書くことになった子は、Ducky 交換日誌のノート、そして王冠の紙工作を持ち帰ることが出来る。王冠には、自分で好きな飾りつけをして、翌日被って登校することが出来る。もちろん、前の晩に書いた交換日誌とDuckyを抱えて。


  王冠を被った子はその日一日、男の子ならキング、女の子ならクイーンと呼ばれ、クラスの子達の前で自分が書いた日誌を読み上げ、皆からインタビューを受けることが出来る。一日車掌ならぬ、一日アイドルといった感じだ。そして、その日は誰よりも早く登校し、皆で一列に並ぶとき(line up)も一番先頭につくことが出来る。お昼の時間は、みんなのランチボックスやスナックが入ったカートをランチ・エリアまで引いていくことだって出来る。(これ、実はみんな狙っている)

 これ、何かに似てるよね?そう、日本でいうあの日直だ。日直というと、何だか嬉しい様な面倒なような微妙な気持ちになるが、このキングやクイーンにあたると、子供たちは大喜びである。何事も持っていき次第というわけだ。


 ところで、ここまで書くと、まるで Ducky は交換日誌についてくるおまけのように思われるが、実はこのDucky、かなり重要な役割を果たしてる。なぜなら、その交換日誌には、その晩にDuckyと一緒に何をしたか、Duckyをどこに連れて行ったか、書かなくてはいけないからだ。
 
 Duckyがどんなにかわいいか、ぜひお見せしたいのだが、残念ながら私にはDuckyの映像がない。これには深いわけがある。
 
 忘れもしない、娘が初めて交換日記を抱えて下校した日。腕にはDuckyが大事そうに抱えられていた。が、ゲッ、そのDucky、めちゃくちゃ汚れている。ところどころシミもあり、べたべたしたものが固まって毛が束になっているところもある。大喜びの娘とは対照的に、私のテンションはかなり下がった。
 
 家に帰り、ことあるとごに Ducky に声をかけ、頬ずりする娘。気になって仕方なかったが、うれしそうに交換日誌に取り掛かる娘を前、何も言えずにいた。が、夕食時、娘がDuckyと一緒に食べようとダイニングテーブルにそれを乗せた途端、思わずそいつをつまみ上げてしまった。そこから私の勢いは止まらない。娘がDuckyと一緒に寝るといって同じベットに入れた時には、思わず時速138キロでベットに突進し、片手でDuckyを払いのけてしまった。飛んでいくDucky。驚く娘。
 娘の気持ちも考えずに大人気ないことをしてしまったと思っている。(でもだって、そのベットに私も寝ることになってるんだもん、ぶつぶつ・・・・
 
 案の定、翌日、娘は担任に 「うちのマミーはDuckyが汚れているから嫌っている」 って告げ口をしたらしい。したら、「マミーの言うことは気にするな。Duckyを大切にしろ」と言われたとのこと。
 
 なぜだ!  
 なぜ母よりDuckyが上にくる!

 次にDuckyがうちにやってきた時は、より一層汚くなったそいつを洗濯機に放り込んでみた。洗濯機から出てきたDuckyはしかし、DuckyのようでDuckyじゃないような・・・。
 娘の態度も何だかよそよそしい。

 その次に来た時にはアルコール消毒液をふりかけてやった。ちなみにアメリカではこのアルコール消毒液、かなり一般的である。クラス内に一、二本置いてあって、皆でお昼食べにランチエリアに行く前、キングやクイーンが一人ずつ、シュッシュッと手に吹きかけてくれるし、手洗いより身近な存在かもしれない。
  とにかく、一晩ならまだしも、金曜日にDuckyがやってきた時は悲惨である。ひと週末、あのものと付き合わなくてはならない。

 そんなわけで、私にDuckyの記念写真など、あろうはずがない。
 
 
 しかし、こんな私でも、それなりに Ducky には感謝してる。
  それは、今までの絵日記では、”I love my mom." に代表されるように、”I ~ " ばかりだった。それが、Ducky が来たことで、"Ducky and I ware ~" とか、子供たちのライティングに変化が生まれたのである。Ducky について書く時には必ず三人称になるし。アメリカの子供たちは、三人称がどうのなんて考えもしないで書いているだろう。しかし私から見れば、これは大きな変化である。
 これが先生がDuckyを起用した狙いだったのか!
 Ducky、なかなかいい仕事をしてくれる。

  クラスのその交換日誌が回ってくると、他の子が何を書いているのか興味があり読んでみるのだが、時々、その子本人でなく、明らかに親御さんか兄姉が書いたと分かるページがある。書きたいことは恐らくその子が口頭で言って、それを親なりが正しい文章とスペルで書き下ろしているのだと思う。
 が、それを見た時、「別に間違っててもいいから本人が書いた方がいいんじゃない?」と思っている自分がいた。
 
 今後は、その間違いをいつ誰が教えてくれるのか、或いは、いつ本人が自ら気付くのか、がポイントだと思うのだが、これについてはまたおいおい書いていきたいと思う。

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2010年3月6日土曜日

インプットとアウトプットの時期を間違ってはいけない

 少し立ち止まって、日本にいた時のバイリンガル子育てについて振り返ってみたい。
 
 まず、娘の出産と同時に仕事を辞めたので、その退職金をはたいてディズニー・ワールド オブ イングリッシュ(DWE) のフルセットを購入。生後一ヶ月からせっせと英語の種を蒔いていた。手始めにプレイ・アロングのCDを聞かせ、徐々にシング・アロング→ ビデオといった具合に。

 その他、使用した教材は数知れず。例えば、
 ・CTP (当時はまだカセット)
 ・オックスフォード・リーディング・ツリー
 ・七田のかな絵ちゃん(英単語フラッシュカード)
 ・七田のさわこの一日 (英語版CD+テキスト+暗誦カード)
 ・七田のパルキッズ(CD付き絵本暗誦)
 ・音声つき英語絵本(Lady bird 社のRead it yourself シリーズetc.)
 などなど。

 その中で、実は私が一番好きだったのはDWE のそれも Listen Along だ。
 これは、Sing Along を購入すればついてくるはずなのだが、朝に聞く歌のCDと夜寝る前に聞くCDの2枚セットがある。その中で、夜のCD(Bedtime Songs) の
『By and By』『Star Light , Star Bright』
が大好きである。この二曲を聴くと、娘がまだ幼児だった頃、育児に奮闘していた日々が一気に蘇り、目頭が熱くなってくる。本当に、あの頃の自分が愛おしい。

 えっ?好き嫌いじゃなくて、効果があった教材を挙げてくれ?はい、そうすべきだと思んだが、実は色々やったので、どれが今の彼女を形作っているのかさっぱり分からない。でも、やはり桁違いに高かったDWEに軍配をあげることにしよう。ただ、DWEにはあまり日常会話的な要素がないので、それを補うために、七田の『さわこの一日』などを暗誦させていた。

 日本では、上記のような教材を毎日かけ流し ていたわけだが、一番気になったのは、やはり、英語が口から出て来ないということである。同じような悩みを持つ親御さんも多いのではないだろうか。

 娘が幼稚園年中の頃、英語塾にも通うようになった。塾と書いたのは、英会話というより英検を目指して英文も読ませるような子ども英語教室だったからである。月に一回だけネイティブの先生との会話レッスンを受けられたが、普段の週一のクラスは日本人の先生だったし”お勉強”だった。スピーキングが気になっていたわりには、真逆の方向に走ってしまったわけだ。

 しかし、やはり週一のネイティブ・レッスンでちまちま英会話していてもしょうがない、という思いがあったので、まあいいっか、と思った。そのうち、英語も口から出てくるだろうと思った。が、しかし、これがなかなか出て来ない。英検は、その塾のお陰で年中で四級を取れていた。なので、英語を知らないということではない。しかし、自分のやり方にすごく自信がなかった。絵本の暗誦はしていたが、娘が自ら英語を話す出すことはまずなかった

 
 そうこうしているうちに、アメリカに引っ越しすることになった。
 来た時は、まだ現地の小学校は夏季休暇中。学校が始まるまで二週間あった。お友達もいないし、行くところと言えば公園とスーパーだけ。
 そんな時に、スーパーの中でちょっとカートが邪魔になって通してもらいたい時に、私が”Excuse us"といって通してもらったら、その後、娘がそれを連発するようになった。別に混んでいなくて単に人とすれ違うだけでも”Excuse us"。独りの時も”Excuse us"。しかも声が大きい。もうせめて”Excuse me"応用をしてくれ、と思った。日本での英語育児の日々を思い出しては、こんなはずでは、とわなわなしていた。

 そうして迎えた学校初日。
 娘をクラスに送り届け、笑顔で手を振った後、教室の扉がパタン!と閉められた。心配なので、小窓から中の様子を覗いていたら、先生を囲んで、子供達20人ほどがカーペットの上にあぐらをかいて座っていた。その中から一本の手がピーンと挙がっていた。その手は、・・・わが子の手ではないか!「えー!何を言いだすの~?」 と思った瞬間、子供達が先生に引率されてゾロゾロ扉の方に向かって歩いてきた。(ここで私は光の速さで柱の陰に移動)
 教室から出てきた先生と生徒達は、廊下を先へ先へと歩いて行ってしまった。ぬき足さし足で後をついていくのも何だか格好悪いので、すごすごとその場を離れたのだが、後で娘に聞いたところ、手を挙げて”May I go to the bathroom?" と言ったらしい。そこで先生が”それはいいアイディアね”とばかりに、皆でまずトイレの場所を確認しに行ったとのことである。うん、一応、つかみはオッケー。

 実は渡米の際に、航空会社からの赴任者サービスの一貫で、KOMET (米国在住の日本人家族をサポートしている団体)というところが出している 『HIROSHI goes to American School』 というDVD付きテキストを頂いたのだが、娘がそれをよく観ていたのである。これは、Hiroshi という初めてアメリカの学校に入ることになった男の子を主人公に据えて、学校で必要なフレーズなどを順に教えてくれる教材である。その冒頭初っぱなに”May I go to the bathroom?" が出てくるわけである。うん、確かに一番重要なフレーズだ。こっちでは皆、休み時間じゃなくて、わざわざ授業中にトイレに行くからね。
 
 
 娘はその後、学校が始まってからは英語がどんどん口から出てきた。
 おもしろいのは、簡単な文章から順に英語が出てくるわけではないということだ。学校が始まって一週間も経たないある日、娘とまたスーパーにいてレジで会計してもらっていた時、娘が店員の胸ポケットにささっているかわいいペンを見て、”I wish I could have that pen." (そのベン、欲しいな)と言ったのである。「ひぇ~、I wish I could 構文だー!」と思って財布を持つ手が止まったのを覚えている。そして、その店員は驚いたことに快くそのペンを娘にくれたのである。(言ってみるもんだ)
 
 思えば、”Excuse us" の時から、娘はしゃべりたくてたまらなかったのだと思う。自分の中に溜まっていた英語の数々が飽和状態で 英語をしゃべっていい環境に置かれた途端、爆発しそうになっていたのではないだろうか。どこかを突かれれば、その引き出しが開いて言葉が出てくる状態で、どの引き出しが突かれるか分からないので、どういう言葉が出てくるか予測がつかない。いずれにせよ、難易度順、頻出度順ではないのである。
 
 日本にいた頃は、英語育児してるのがとても特別なことに思えたり、英語より母国語だろ!と意見されたりもした中、三食同様、来る日も来る日もひたすら英語を淡々とごり押しをしてきた甲斐があったと思った。(淡々とごり押しとは、なかなか新鮮なマッチング)

 お陰でクラスの担任に、「アメリカに来たばかりなのに、どうしてこんなに英語が出来るのぉ?彼女は・・・彼女は・・・(肩をすくめる)普通じゃないわ!」 と言われた時も、「褒めるなら私を褒めて下さい(It's me to be highly praised!) 」 と自信を持って言えた。
 因みに、娘は普通である。かなりおしゃべりだということを除けば普通の子である。普通の子が普通に日本で英語のシャワーを毎日あびていただけである。

 
 最後に、こんな言葉を吐いておきたい。
 それは、アメリカに来てつくづく思ったのだが、こんなにも英語を普通に話している子ども達が沢山いるのか、ということだ。何を当たり前のことを、と言われるかもしれない。しかし、日本にいるとその事実を忘れていることが多い。でも実際それを目の当たりにすると、将来、自分の子どもがこんなにも沢山の人たちと自由自在にコミュニケーションが取れないなんて、許せない!と思えてくるのである。

 英語は大人になってからやればいいじゃないか、という考えもある。が、しかし、大人になってからは、今まで自分が培ってきたものを総動員して、世の中の人々のために役に立つことを考え実践する時期である。つまり、アウトプットの時期である。そんな時になってから道具の一つである英語をインプットしていたのでは遅すぎるのではないだろうか。この大事な時期に英語に時間を割くのは実にもったいない。(私が実はそのもったいない)

 何が言いたいかというと、英語育児はやはり大事なんじゃないの?ってことである。そして改めてそれに心を尽くしている親御さんや教育者達は偉大だ思うわけである。

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2010年2月26日金曜日

単語テスト / do はドゥですか?ドーですか?(1年生10月)

 突然ですが、皆さん、英語の発音の勉強は好きですか?
 たまに好きだという人がいますが、私は、・・・ くそくらえ! である。
 娘が、自分の名前がアメリカ人に正しく発音されないのは、ロングe がなんちゃらで、サイレント・サウンドがほにゃららで、それがないとしかじかで・・・・って話し出すと、私の両耳のシャッターがガラガラと降りてきてしまう。
 子どもがこんなことを言い出すのだから、きっと学校で何かしらフォニックスのルールを教えているのだろうが(発音記号は教えてないと思うけど)、もともと発音が出来なくてもハートで会話は出来ると豪語する人間なので、これくらいの認識で精一杯である。
 ブログ主は、辞書も捨て発音も捨て、いったい何を頼りに英語を勉強してきたんだ、とつっこみたくなったところで、さて、今回のお題は単語テストである。(えー、発音の話じゃないの?)

  一年生の新学期が始まってひと月もたつと、単語テストというものが毎週始まる。
  娘の担任の先生が選んだ教材は、これである。



 これは、単語リストの上にカエルを重ねて、カードをずらしながらカエルの口に現れた単語を一つ一つ読み上げていく教材である。
 毎週月曜日に一枚の単語リストを渡され、家で読む練習をしてその週の金曜日に学校でテスト。テストで全単語をクリアしたら、次のリストに進めて、一つでも読めなかった単語があったら、もう一週同じリストを練習して次の金曜日に同じリストの単語テストをする、という感じで進められていく。もちろん、余力のある子は同時に二枚の単語リストが渡されたり、読むだけじゃなく、スペルのテストもさせられる。

 さて、これらの単語、何を基準に選ばれているかというと、Dolch High Frequency Word List という、Readingの際の頻出単語をベースにしている。このDolch のリスト、色々ある中、先生が選んだのが、このカエルの口を利用したものだったというわけだ。(うん、悪くない)
 
 アメリカで頻出単語のことを、Sight Word (”よく目する単語”とか、”見て覚える単語”という意味がある)とよんでいるが、この中には、フォニックスのルールに従っていない単語も結構ある。なので、日本で Sight Word というと、フォニックスの例外単語という意味で使われることが多いが、実はちゃんとフォニックスのルールにのっとっている単語もあったりするのだ。
 でも、発音を無視してきた私にとっては、例えば、doはフォニックス読みだと本当はドーだけど、ドゥって読むよね」 なんて言われても、あら、そういえばそうかもね、くらいのものだし、もうどっちでもいいから、頻出単語というなら一緒くたに覚えればいいんでしょ、という感覚である。 

 このDolch High Frequency Word List だが、全部で220単語あり、それを担任の先生は、1st Grade の子には一年生の終わりまでに出来れば全部習得して欲しいと言っていた。(前述のように、娘のクラスは、Kinderと1st Gradeの混合クラスなので、Kinderの子にはまた違う単語リストが配られている。しかし、Kinderでもよく出来る子には、この1st の子が使っている単語リストでテストをやらせているといった具合である)

 ちなみに、1st Grade 終了時まで「出来ればマスターして欲しいわ♪」ではなくて、絶対マスターしろ!」 と担任の先生が言っている単語に、次の表のようなものがある。これらの単語は、読み書き両方、出来なくちゃいけない。これを”NO EXCUSE WORDS” というのだが、ちょっと怖い言い方だよね?直訳するとこんな感じかな?

”出来ないなんて言い訳しちゃだめよ単語”
”つべこべ言わずにやれよ単語”
”なめたこと言ったら容赦しねぇぞ単語” (そこまで言ってないっか)




 そして、軽々とこれらの単語をマスターしちゃう子には、1st Grade といえども 2nd Grade のリストが配られ、はたまた 3td  Grade のまで渡され、これらに”NO EXCUSE” だの"ACCOUNTABILITY” (説明責任だって。ひぇ~怖~い) だの書いてあるもんだから、何がなんでもやらなくちゃいけないという気になってくる。もちろん、毎週末の単語テストも、一年生の枠を飛び越えてやらされる。



 日本で、学習能力に長けている子だけ学年跳び越えて漢字を覚えさせる、なんてことは公立の学校ではちょっと考えられない。公文あたりなら大歓迎だけど。もちろん、親御さんが頑張って家でやらせていれば別だけど、やはり先に先にと進んだことをやろうとすると、日本ではそれなりにエクストラ・マネーがかかるような気がする。

 単語テストもそうだが、こちらでは、例えば算数が出来る子は、自分のクラスを抜け出して上の学年のクラスに参加する、といったことが結構ある。 
 知り合いの小学5年生のお子さんは、算数がずばぬけて出来るので、近くの中学校の数学の時間に合わせて小学校を抜け出し、その中学校で数学の授業を受けているという。小・中学校間は徒歩で行ける距離にはないから、ほとんど毎日、就学時間帯のその時間だけ親が車でスタンバって、往復の送迎をしなくちゃいけないらしく、その親御さんは言葉通り、うれしい悲鳴をあげていた。

 また、こちらでは勉強がよく出来る子には、ある種の知能テキストにパスし、クラス担任から推薦が貰えたら、放課後に色々な特別プログラム (ロボットコンテストとか)に参加することが出来る制度がある。
”勉強が出来る子”というと語弊があるかもしれない。正確には、ちょっと人より抜きんでた能力を持っている子とか、得意分野がはっきりしてる子、どんどん新しい事をやりたがる子(担任の先生は、一つの問題に対して違うアプローチで解決できる子って言い方をしていたが) と言った方が正しいかもしれない。このプログラムに関しては、また別の機会に書こうと思う。

 いずれにせよ、このような制度が一般の公立小学校からあるのだ。
 日本では少し前、どこかの中学(高校だったかな?)に塾が入り込んで、出来る子だけ集めて放課後に特別授業をするというのが物議をかもしていた。

 改めて、日米の教育に対する根本的な認識の違いを痛感せずにはいられないのである。

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追伸:ところで、本文中に過去ブログ記事を参考にしてもらいたい時、リンクを張ってワンクリックで過去記事に飛んでいけるようにするには、どうすればいいのでしょう?すみません、ブログ機能に疎い人間なので、分からないことだらけです。もしご存知の方いらしたら、教えて頂けるととても嬉しいです。

2010年2月13日土曜日

ザ・米流読書の奥義

  思えば、アメリカに来て(娘がまだ1st Gradeの9月ごろ)、一番初めに娘に買ってあげた本はこれだった。

 

 内容は、ライ豆が好きな女の子が、友達がそれを嫌いだと知って、皆に合わせようとして食べなくなり、全身がシマシマ模様や星条旗模様になったりするというお話。オチは、好きなお豆を食べたら元の身体に戻れた、というもの。
 う~ん、・・微妙。絵もグロテスクだし、まず、アメリカの子どもでも、周りに合わせることがあるんだって、それ自体に驚いてしまった。
 この本、以前話したブックフェアで娘にねだられて買ったのだ。聞けば、クラスに同じ本があって、先生が何度か読んでくれたというではないか。先生のお墨付きか・・・。
 
 さて、この本、写真でも分かるように、付箋がたくさんついている。初めて買った本で、気負って娘に読み聞かせをしてあげたものの、娘が分からないと言った単語を、その都度辞書で調べて付箋を貼ってあげていたのだ。よく頑張った、と自分を褒めてやりたい。
 しかし、これ以降、英語の本の読み聞かせは、殆どしなくなった。人間、やはり無理はいけない。
 
 読み聞かせが長続きしなかった原因は、やはり辞書だろう。思えば、日本語の本の読み聞かせの時、辞書など使わない。分からない言葉が出てきて娘に聞かれた時、自分の言葉で適当に説明してあげてたっけ。なのに、なぜ英語の本となると、辞書などひっぱり出して、ひきひき読み聞かせをしてしまったのだろう。もちろん、自分も分からない単語が出てきた時は仕方ない。でも、日本語の本でも、分からない言葉が出てきた時は、大人でも子どもでも、前後から推測してぼんやりとしたイメージを持ったまま、読み進めているケースが多いのではないだろうか。


 多読をしている方々からよく貰うアドバイスとして、「分からない単語に出くわしても、そのまま読み進めること」 というのがあるのだが、アメリカの小学校では、まさにこれを実践していると思う。 

 
 娘がアメリカの小学校に入学して暫くたったころ、BORDERSというアメリカの大手本屋に入会し、そこの40%クーポン券を握り締め、娘のために子ども用の英ー英辞典を買いに走ったものだ。で、購入したのが、このSCHOLASTIC 社のChildren's Dictionaryである。



 読みやすくて、図解があって、私はかなり好きである。例えば、このfan の解説一つとっても、スターのファンである fan の定義から始まり、Japanese 扇子のイラストも美しく、Word History のコーナーでは、fan はfanatic (狂信者)の省略形だと解説している。
 

 しかし、残念ながら学校の教室でこのような辞書にはお目にかかれない。教室で子供たちにものを教えるのは辞書じゃなくて 教師 だ、とでも言いたげである。もしかして先生の机の引き出しの中にあるのか? アメリカの子供たちがものぐさだからだと思うが、はい、私もそうである。学生時代、英語で分からない単語に出くわすと、まずGuessする。それでも分からない時は周りの人に聞く。で次に電子辞書。で、それにも載っていない時にようやく重い辞・・、おっと、ようやく放置である。
  上のライ豆本のエピソードから分かるように、母になって、どんだけ無理しているか、という話だ。   だが、やはり辞書を引いてる姿って美しいよね。というわけで、娘のそんな姿が見たくて、毎週単語テストで出てくる単語をいちいち調べさせて付箋をつけさせている鬼母である。娘は、何のためにこんなことするの?とでも言いたげなお顔。

 彼女は今、2nd Gradeだが、最近、Dear America というシリーズの本にはまっている。聞けば、一番仲のいい子が読み始めたから、一緒に読んでるというではないか。喜ばしい!正しい読書へのいざないである。 
 このシリーズは、Scholastic社から出版されていて、著者はまちまちだが、全て少女の日記形式を取っており、アメリカの歴史をリアルに体感できるフィクション・シリーズである。全40冊ほどあると思われるが、日本でも一冊 『メイフラワー号の少女』というタイトルで邦版が出ている。この一冊で、いかにアメリカ人が毎年11月末のThanksgiving(感謝祭)を大事に思っているか分かるはずである。
 さて、写真のユダヤ人移民の少女の日記だが、ぱっと見た目の字数を知ってもらうため、中身の写真も貼っておいた。




 このぎっしり度で180ページある内容を、もしも辞書をひきひき読んでたらどうなるだろうか?ヒーヒーフーフー言ったところで、読み終えられる量ではないだろう。
 しかし、娘もそのお友達も、これをダーッと読むのだ。このダーッとが、実はザッとだったりして、という不安にかられ、恐る恐る 「どうだった?楽しかった?ママも本当はとても読みたいんけど、読む時間ないから、どんな話だったか教えてくれる?」 と白々しく娘に聞いてみたりする。すると、いちおう涼しい顔で、こんな話だったよ、と教えてくれる。
 きっと細かいところでいろいろと取りこぼしがあるだろう。分からない単語も絶対あったはず。どこまで深く内容を理解できているか、すごーく気になる。でも、いつからか、もう腹をくくるようになった。ここはアメリカ。ザ・米流読書スタイルで行こうっと思うようになったのだ。
 
 
 日本では、教科書に出てくるお話の内容を、何時間かかけて教室で勉強する。 「ここでいう”あれ”とは何をさしているのか」 とか、「その時の〇〇はどんな気持ちたったか」 とか、手取り足取りである。しかし、こっちではそんな親切なことはしてくれない。 「読解力は、本にたくさん触れれば触れるほど身につくものであり、自分で身に付けていくものだ。つかんもんは知らんといった感である。言い換えれば、日本流はミクロからマクロ、アメリカ流はマクロからミクロ的なアプローチだと言えるだろう。
 
 下のは、現在 2nd Grade の娘の読書ノートである。

 宿題の一貫として、先生に指定された本を週1、2冊持ち帰り、その本を読んでこの読書ノートに記録をつけていくのである。そして、必ず、簡単な My Opinion(感想文)Summary(要約) を書かなければならない。このSummary だが、一冊の本を読んで、どんな本だったのか、人に紹介する形でまとめて書くということは、大人でも難しいと思う。それを、出来はどうであれ、小学二年生から公立の小学校で普通にやらせていることを思うと・・・、ちょっと聞き捨てならないかもしれないが、「アメリカで育った子には叶わないなぁ」 と思えてしまうのである。

 細かいことは気にするな、量をこなせ、大意だけを掴め

 これぞ、ザ・アメリカ流読書の奥義ではないだろうか。

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2010年1月29日金曜日

ハロウィーンは枯れ葉色? (1年生 10月)

 そろそろ1年生の10月の内容に移ろうと思う。  
 皆さん、10月というと、何を思い浮かべるだろうか。
 私は、夫も娘も10月生まれなので、10月になると煩悩が増える。
 
 アメリカでは、誕生日パーティというものが盛大に行われる。そんなことは予備知識で知っていた。しかし、実際、スゴイ。自宅でやるのは稀で、逆に至る施設で、”バースディ・パーティ企画しま~す”というのを見かける。科学技術館みたいな所から空手道場といった習い事の教室、娘が通うスイミングスクールでもそんなバースディ・パーティのパッケージがあった。公園にテント張ってバルーンでも飾り付ければ始められちゃう。もちろん、バースディ・パーティの専門施設もたくさんある。

 娘はクラスのお友達の誕生日会で、同じバースディ・パーティの施設に3度行った。そこは、大きな体育館みたいな中にエアで膨らませた滑り台やらトランポリンやらがあって、初めの1時間くらい、皆そこでピョンピョンと思いっきり遊ぶ。そして、時間になったら、隣の会議室みたいなところに移動し、ケーキやピザタイムの始まり。皆が持ち寄った誕生日プレゼントを主賓の子に渡して、解散、という流れのところである。
 親たちといえば、一度、その施設に子どもを送り込んだら、パーティが終わる時間まで、どっかに行ってしまう。一時的な託児所感覚である。参加費は全額、主賓負担。その代わり、子供たちは誕生日の子にプレゼントを持ってくるのが暗黙の了解となっている。
 
 一度、主人がそのバースディ・パーティ施設に娘を迎えに行ったら、主賓の子が友達たちに囲まれてプレゼントを開けている光景を目にしてしまった。よく映像でみかけるあの典型的な光輝くような光景である。かなりインパクトがあったようで、帰って来たら、娘の誕生日の時もそこでやろう」と言いだしたのだ。娘も、「やりたいやりたい」と言うではないか。

 ありえない!

 誕生日というと、あれですよね。自分の子どもが生まれた神聖な日。
 そんな日に、流れ作業的にことを済ませるなど、逆立ちしても出来ない。
 人数が多ければいいという話ではない。心底お祝いをしてくれる人たちだけで、全てのものに感謝しつつ、しんみりやりたいのである。願わくば、家族3人みずいらず、しっぽり行きたいところである。
 しかし、アメリカにいる限り、そういう訳にも行かないご様子・・・。
 とりあえず去年は、娘の誕生日の日に、クラスに人数分のカップケーキとジュースを差し入れた。これは、基本中の基本、誰もがやっている最低限のフォローである。
 が、今年はこうはいかないだろう。アメリカにいると、誰もが一度は通る道、バースディ・パーティという険しい道を通らなくてはならない・・・。
 そう考えただけで10月は全て枯れ葉色に見える。

  
 
 そんな私を尻目に、10月というと、アメリカではハロウィーンである。イェ~イ!(お待たせしました。ここからが本題)
 
 まず、学校のフィールド・トリップ(小遠足と称して、近くのPumpkin Patch にみんなでくり出す。このPumpkin Patchというのは、農家などが、普段空き地になっているスペースに、たくさんのかぼちゃを転がしておいて、子供たちに自分の好きなかぼちゃを一つ選んで持って帰ってもらう、というもの。それだけじゃつまらないので、大抵、わらなどを積んだトラックの荷台に乗せてくくれたり、小動物と触れ合えるコーナーがあったり、クラフト・コーナーが出没したりといった催し施設が、この時期、あちこちで出現する。
 

 クラスでは、そのパンプキン・パッチに行く前に、先生は”今だ”とばかりに、以下のようなものを教えだす。



  つまり、ジャック・オ・ランタンが出来るまでの流れである。
  seeds から始まり、vineflowers → small pumpkin large pumpkinJack o Lantan
というわけである。
  ちょっとサイエンスが入っていて何だか得した気分だ。


 これの発展形がこちら。

  

私は誰?クイズである。

1,  I hold plants in the soil. → roots
2,  I help hold up the plant.→   stem
3,  I make food. →  leaves
4,  I make seeds. → seed coat
5,  Most plants grow from this. →  seed



さらに、たたみかけるように、こんな冊子が配られた。



 





 10月は、子供たちに植物の成り立ちをインプットするのに先生もご執心。でも、一つのことを何度もしつこく、定着に持っていこうとする先生の心構えには、あっぱれ、である。

 前にPoemでも触れたが、アメリカの学校は、このようにして、イベントに便乗してあれこれ教えるのが大得意である。日本では、お正月にお正月遊びなどをさせる学校もあるが、福笑いの”福”の漢字を丁度この時期に習わせるといったところまでは、さすがに合わせて来てはいないはず。
 (実はそうだったりして。”文部科学省よ、ありがとう” と一応、言っておこうか)

  こういったところが、アメリカの学校に教科書がなくて、教師の力量でいかようにも学習内容を組み立てることができる、その醍醐味があるように思う。 

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2010年1月13日水曜日

Sort (分類) はそーっとやろうね! (1年生9月)

 先生が用意してくれる教材の中で、仕分けの作業、というのが結構ある。
 例えば、これ。

 これは、 ”L”(小文字 " l " )で始まる単語とそうでない単語を分ける、という単純なもの。でも、実は発音の勉強 phonics study) である。
 
 写真のものは、もう娘がやった後のプリントなので、猫(?)が持っている ”I” (小文字)の下には既に lamp,  ladder,  leaf,  letter が貼られている。が、もともとはばらばらにある絵をそれぞれ切り離して、猫の部屋とゴミ箱 (L以外から始まる単語)の部屋に仕分けして貼っていくという作業である。
  教師向けの指示(写真上部)には、「まず、" l "をエルと何度か発音させてから、lampなどの単語を読ませて下さい。」と書いてある。簡単に見えても、まずこれ、単独だとエルだけど、単語になると とか ルッ とかいう発音になるのだから、しっかり子供たちに教えなくちゃいけない。
  同じ話で、bビーだけどブッbook 等)、c シーだけどクッcook 等)。なので、同様のプリントが a から z まである。

 余談だが、1st Gradeくらいの子たちが本を読むとき、例えば、This is a pen. という時、”ディス・イズ・・ペン” じゃなくて、”ディス・イズ・エイ・ペン”と読む。何でも、a が出てくると、エイ、エイ言うのである。だけど、なぜか2nd Gradeになるとちゃんとみんな "ディス・イズ・・ペン" と言えるようになっているから不思議だ。


 次の切り貼り作業はこれ。

 前回お話した脚韻と関係あるのだが、-apで終わる単語と-at で終わる単語を分類するというもの。これも娘が既にやった後なので分類されているが、もとはそれぞれ単語がバラけて一枚のプリントに印刷されていて、それを切り離し、片目モンスター(?)と四つ目モンスター(?)のグループに仕分けて貼っていく作業である。なぜモンスターなのかよく分からないが、先生は、早く終わった子はモンスターに色塗り出来るからね~」って声をかける。(そうきたか!)。それで、子供たちは我はやしと勇んで作業に取り掛かるのである。 

 これまた余談だが、ご存知かもしれないが、アメリカの小学校は一人一人に机があるのでなく、だいたい何人かがひとグループで一つの大きめの机を共有するようになっている。日本のあの理科の実験室みたいなイメージだ。
  なので、こんな切り貼りしてると、必ず(というか当然と言うべきか)、隣の子が切った "gap" を使っちゃったとか "map" を切り取ったのになくしたとか、よくある。で、騒がしくなって、先生がものすごい音のなるベル(メイドがディナーの時に鳴らすような手ベルだが、けたたましい)とか、(あの体操の笛)をピーッ!!!って鳴らして、一瞬教室内がシーンとなる、というのが繰り返される。このシーンとしてみんな真顔になる一瞬、私などはなぜかプッと噴出したくなるので、個人的にはこの切り貼り作業のお手伝いはご遠慮したいところである。

 さらに余談だが、このような切り貼りのややっこしい作業を、テーブルをローテーションさせてやろうか」って先生が言い出すのである。つまり、理科の教室のようなテープルごとに座っている子供たちが、この1テーブルではモンスターの切り貼りをし、15分後にローテーションのベル(あのベル)が鳴ると、次の2テーブルに移り、今度はネコさん”l "の切り貼りをし、そして次にまたあのベルが鳴ると、3テーブルに移り・・・・(以下、5テーブルまで続く)、という感じでローテーションさせるのである。もう、 "gap" やら "map" やらが舞うのなんのって・・・。
  こうして何週間か経った後、ついに先生の口から「どうやらローテーションなしで、一つの机でずっとやらせた方が良さそうね」と。もう"I agree (即答)"である。


 余談が多かったので、最後に一つ。


 これは、切り貼り作業ではなく、単語の後半の欠けている部分に "ad" を書き加えて完成させる作業である。adと書き加えていくだけなので簡単なのだが、必ず声に出して読みながら書くのがポイントである。最後に絵を見ながら、一文を作るところなど、なかなかオツである。写真のものは、一番下にある絵を見て、Dad is sad. と Tad is mad. という文を完成させるようになっている。数ある-ad単語の中でも、Tad は人名だということだ。この表だと Brad もそうである。

 このようにして、子供たちにフォニックスを定着させていくのである。

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