2010年3月18日木曜日

Writing強化で交換日誌投入

 新学期が始まって三ヶ月程たった頃、先生がみんなのライティング強化に乗り出した。今までライティングといえば、毎日学校で書く絵日記 (Journal) くらいしかやっていなかったから、素人目でも、何とかしなくちゃね、と思っていた。

 さて、日本では国語の補助教材に、 『うつしまるくん』というのがある。実際、今、娘は毎週土曜日に日本の補習校に通っているが、そこでも使っている。これは文章が書いてあって、ひたすらそれを書き写すだけのワークブックだ。”うつすだけで国語の力がつく”なんて書いてある。

 これ、父兄の間では賛否両論あるが、私は良いと思う。就職したての頃だって、まず先輩の真似をして一通りやり方を覚え、それから初めて独自のスタイルやアイディアが浮かぶというもの。ものを書くのだってそうじゃないか、人生ものマネだ、と思う。
 
 が、しか~し、アメリカではこの真逆を行っている。(まただよ)
 
 新学期が始まってすぐの父母会で、クラス担任が一年間の目標などを説明してくれるのだが、その時に配られた”Writing”に関する資料を見ると、こう書いてある。

 
 (下部要約) 自分で勝手に作り上げた間違った言葉(invented spelling。nights をnytsとする等)を使って書くことは、ライティングの初歩段階においては至極自然なこと。1st Gradeは自分が書けない単語でも書きたがるものだ。invented spelling は書き手の世界を広げ、考えを羽ばたかせる。未熟なスペリングの不安によってアイディアが妨げられる必要はない。訂正というものは、ライティングのプロセスにおいては、後ですればいいこと。

 とはっきり書いてある。
 あっぱれである。
 
 実際、学校で先生が絵日記の時間に教えることと言えば、書き出し大文字終わりピリオド。そして finger space (フィンガー・スペース) くらいである。finger space とは、単語と単語の間に人差し指と中指の二本を置いてしっかりスペースをとるための方法をいう。
 以前、絵日記の投稿で、先生がみんなが使いそうな単語をラックに掲げていることを書いたが、子供たちの書きたいことは、そんなラックにある単語だけじゃ、やはり足りないのである。因みに、絵日記の時間にボランティアをしていて、一番多く聞かれたのは、「awesome (格好いい!凄い!)ってどうつづるの?」ということだった。男の子は大抵、この言葉を書きたがる。
 
 いずれにしても、子供たちの絵日記は間違いだらけである。そして、先生もいちいちそれに赤ペンを入れたりはしない。こういう時こそ親の出番だと思い、娘の絵日記の間違いを訂正しよう思ったが、何だか本人の書く意欲をそぐようでやはり止めてしまった。

  こんな状態だから、『うつしまるくん』の英語バーションなど、恐らくどこを探してもないだろう。
 
 
 さて、先生が、ライティングの強化に選んだのは、Ducky(あひるの子のぬいぐるみ)を使ってクラス内で日替わりで交換日誌をするというものだった。日誌を書くことになった子は、Ducky 交換日誌のノート、そして王冠の紙工作を持ち帰ることが出来る。王冠には、自分で好きな飾りつけをして、翌日被って登校することが出来る。もちろん、前の晩に書いた交換日誌とDuckyを抱えて。


  王冠を被った子はその日一日、男の子ならキング、女の子ならクイーンと呼ばれ、クラスの子達の前で自分が書いた日誌を読み上げ、皆からインタビューを受けることが出来る。一日車掌ならぬ、一日アイドルといった感じだ。そして、その日は誰よりも早く登校し、皆で一列に並ぶとき(line up)も一番先頭につくことが出来る。お昼の時間は、みんなのランチボックスやスナックが入ったカートをランチ・エリアまで引いていくことだって出来る。(これ、実はみんな狙っている)

 これ、何かに似てるよね?そう、日本でいうあの日直だ。日直というと、何だか嬉しい様な面倒なような微妙な気持ちになるが、このキングやクイーンにあたると、子供たちは大喜びである。何事も持っていき次第というわけだ。


 ところで、ここまで書くと、まるで Ducky は交換日誌についてくるおまけのように思われるが、実はこのDucky、かなり重要な役割を果たしてる。なぜなら、その交換日誌には、その晩にDuckyと一緒に何をしたか、Duckyをどこに連れて行ったか、書かなくてはいけないからだ。
 
 Duckyがどんなにかわいいか、ぜひお見せしたいのだが、残念ながら私にはDuckyの映像がない。これには深いわけがある。
 
 忘れもしない、娘が初めて交換日記を抱えて下校した日。腕にはDuckyが大事そうに抱えられていた。が、ゲッ、そのDucky、めちゃくちゃ汚れている。ところどころシミもあり、べたべたしたものが固まって毛が束になっているところもある。大喜びの娘とは対照的に、私のテンションはかなり下がった。
 
 家に帰り、ことあるとごに Ducky に声をかけ、頬ずりする娘。気になって仕方なかったが、うれしそうに交換日誌に取り掛かる娘を前、何も言えずにいた。が、夕食時、娘がDuckyと一緒に食べようとダイニングテーブルにそれを乗せた途端、思わずそいつをつまみ上げてしまった。そこから私の勢いは止まらない。娘がDuckyと一緒に寝るといって同じベットに入れた時には、思わず時速138キロでベットに突進し、片手でDuckyを払いのけてしまった。飛んでいくDucky。驚く娘。
 娘の気持ちも考えずに大人気ないことをしてしまったと思っている。(でもだって、そのベットに私も寝ることになってるんだもん、ぶつぶつ・・・・
 
 案の定、翌日、娘は担任に 「うちのマミーはDuckyが汚れているから嫌っている」 って告げ口をしたらしい。したら、「マミーの言うことは気にするな。Duckyを大切にしろ」と言われたとのこと。
 
 なぜだ!  
 なぜ母よりDuckyが上にくる!

 次にDuckyがうちにやってきた時は、より一層汚くなったそいつを洗濯機に放り込んでみた。洗濯機から出てきたDuckyはしかし、DuckyのようでDuckyじゃないような・・・。
 娘の態度も何だかよそよそしい。

 その次に来た時にはアルコール消毒液をふりかけてやった。ちなみにアメリカではこのアルコール消毒液、かなり一般的である。クラス内に一、二本置いてあって、皆でお昼食べにランチエリアに行く前、キングやクイーンが一人ずつ、シュッシュッと手に吹きかけてくれるし、手洗いより身近な存在かもしれない。
  とにかく、一晩ならまだしも、金曜日にDuckyがやってきた時は悲惨である。ひと週末、あのものと付き合わなくてはならない。

 そんなわけで、私にDuckyの記念写真など、あろうはずがない。
 
 
 しかし、こんな私でも、それなりに Ducky には感謝してる。
  それは、今までの絵日記では、”I love my mom." に代表されるように、”I ~ " ばかりだった。それが、Ducky が来たことで、"Ducky and I ware ~" とか、子供たちのライティングに変化が生まれたのである。Ducky について書く時には必ず三人称になるし。アメリカの子供たちは、三人称がどうのなんて考えもしないで書いているだろう。しかし私から見れば、これは大きな変化である。
 これが先生がDuckyを起用した狙いだったのか!
 Ducky、なかなかいい仕事をしてくれる。

  クラスのその交換日誌が回ってくると、他の子が何を書いているのか興味があり読んでみるのだが、時々、その子本人でなく、明らかに親御さんか兄姉が書いたと分かるページがある。書きたいことは恐らくその子が口頭で言って、それを親なりが正しい文章とスペルで書き下ろしているのだと思う。
 が、それを見た時、「別に間違っててもいいから本人が書いた方がいいんじゃない?」と思っている自分がいた。
 
 今後は、その間違いをいつ誰が教えてくれるのか、或いは、いつ本人が自ら気付くのか、がポイントだと思うのだが、これについてはまたおいおい書いていきたいと思う。

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2010年3月6日土曜日

インプットとアウトプットの時期を間違ってはいけない

 少し立ち止まって、日本にいた時のバイリンガル子育てについて振り返ってみたい。
 
 まず、娘の出産と同時に仕事を辞めたので、その退職金をはたいてディズニー・ワールド オブ イングリッシュ(DWE) のフルセットを購入。生後一ヶ月からせっせと英語の種を蒔いていた。手始めにプレイ・アロングのCDを聞かせ、徐々にシング・アロング→ ビデオといった具合に。

 その他、使用した教材は数知れず。例えば、
 ・CTP (当時はまだカセット)
 ・オックスフォード・リーディング・ツリー
 ・七田のかな絵ちゃん(英単語フラッシュカード)
 ・七田のさわこの一日 (英語版CD+テキスト+暗誦カード)
 ・七田のパルキッズ(CD付き絵本暗誦)
 ・音声つき英語絵本(Lady bird 社のRead it yourself シリーズetc.)
 などなど。

 その中で、実は私が一番好きだったのはDWE のそれも Listen Along だ。
 これは、Sing Along を購入すればついてくるはずなのだが、朝に聞く歌のCDと夜寝る前に聞くCDの2枚セットがある。その中で、夜のCD(Bedtime Songs) の
『By and By』『Star Light , Star Bright』
が大好きである。この二曲を聴くと、娘がまだ幼児だった頃、育児に奮闘していた日々が一気に蘇り、目頭が熱くなってくる。本当に、あの頃の自分が愛おしい。

 えっ?好き嫌いじゃなくて、効果があった教材を挙げてくれ?はい、そうすべきだと思んだが、実は色々やったので、どれが今の彼女を形作っているのかさっぱり分からない。でも、やはり桁違いに高かったDWEに軍配をあげることにしよう。ただ、DWEにはあまり日常会話的な要素がないので、それを補うために、七田の『さわこの一日』などを暗誦させていた。

 日本では、上記のような教材を毎日かけ流し ていたわけだが、一番気になったのは、やはり、英語が口から出て来ないということである。同じような悩みを持つ親御さんも多いのではないだろうか。

 娘が幼稚園年中の頃、英語塾にも通うようになった。塾と書いたのは、英会話というより英検を目指して英文も読ませるような子ども英語教室だったからである。月に一回だけネイティブの先生との会話レッスンを受けられたが、普段の週一のクラスは日本人の先生だったし”お勉強”だった。スピーキングが気になっていたわりには、真逆の方向に走ってしまったわけだ。

 しかし、やはり週一のネイティブ・レッスンでちまちま英会話していてもしょうがない、という思いがあったので、まあいいっか、と思った。そのうち、英語も口から出てくるだろうと思った。が、しかし、これがなかなか出て来ない。英検は、その塾のお陰で年中で四級を取れていた。なので、英語を知らないということではない。しかし、自分のやり方にすごく自信がなかった。絵本の暗誦はしていたが、娘が自ら英語を話す出すことはまずなかった

 
 そうこうしているうちに、アメリカに引っ越しすることになった。
 来た時は、まだ現地の小学校は夏季休暇中。学校が始まるまで二週間あった。お友達もいないし、行くところと言えば公園とスーパーだけ。
 そんな時に、スーパーの中でちょっとカートが邪魔になって通してもらいたい時に、私が”Excuse us"といって通してもらったら、その後、娘がそれを連発するようになった。別に混んでいなくて単に人とすれ違うだけでも”Excuse us"。独りの時も”Excuse us"。しかも声が大きい。もうせめて”Excuse me"応用をしてくれ、と思った。日本での英語育児の日々を思い出しては、こんなはずでは、とわなわなしていた。

 そうして迎えた学校初日。
 娘をクラスに送り届け、笑顔で手を振った後、教室の扉がパタン!と閉められた。心配なので、小窓から中の様子を覗いていたら、先生を囲んで、子供達20人ほどがカーペットの上にあぐらをかいて座っていた。その中から一本の手がピーンと挙がっていた。その手は、・・・わが子の手ではないか!「えー!何を言いだすの~?」 と思った瞬間、子供達が先生に引率されてゾロゾロ扉の方に向かって歩いてきた。(ここで私は光の速さで柱の陰に移動)
 教室から出てきた先生と生徒達は、廊下を先へ先へと歩いて行ってしまった。ぬき足さし足で後をついていくのも何だか格好悪いので、すごすごとその場を離れたのだが、後で娘に聞いたところ、手を挙げて”May I go to the bathroom?" と言ったらしい。そこで先生が”それはいいアイディアね”とばかりに、皆でまずトイレの場所を確認しに行ったとのことである。うん、一応、つかみはオッケー。

 実は渡米の際に、航空会社からの赴任者サービスの一貫で、KOMET (米国在住の日本人家族をサポートしている団体)というところが出している 『HIROSHI goes to American School』 というDVD付きテキストを頂いたのだが、娘がそれをよく観ていたのである。これは、Hiroshi という初めてアメリカの学校に入ることになった男の子を主人公に据えて、学校で必要なフレーズなどを順に教えてくれる教材である。その冒頭初っぱなに”May I go to the bathroom?" が出てくるわけである。うん、確かに一番重要なフレーズだ。こっちでは皆、休み時間じゃなくて、わざわざ授業中にトイレに行くからね。
 
 
 娘はその後、学校が始まってからは英語がどんどん口から出てきた。
 おもしろいのは、簡単な文章から順に英語が出てくるわけではないということだ。学校が始まって一週間も経たないある日、娘とまたスーパーにいてレジで会計してもらっていた時、娘が店員の胸ポケットにささっているかわいいペンを見て、”I wish I could have that pen." (そのベン、欲しいな)と言ったのである。「ひぇ~、I wish I could 構文だー!」と思って財布を持つ手が止まったのを覚えている。そして、その店員は驚いたことに快くそのペンを娘にくれたのである。(言ってみるもんだ)
 
 思えば、”Excuse us" の時から、娘はしゃべりたくてたまらなかったのだと思う。自分の中に溜まっていた英語の数々が飽和状態で 英語をしゃべっていい環境に置かれた途端、爆発しそうになっていたのではないだろうか。どこかを突かれれば、その引き出しが開いて言葉が出てくる状態で、どの引き出しが突かれるか分からないので、どういう言葉が出てくるか予測がつかない。いずれにせよ、難易度順、頻出度順ではないのである。
 
 日本にいた頃は、英語育児してるのがとても特別なことに思えたり、英語より母国語だろ!と意見されたりもした中、三食同様、来る日も来る日もひたすら英語を淡々とごり押しをしてきた甲斐があったと思った。(淡々とごり押しとは、なかなか新鮮なマッチング)

 お陰でクラスの担任に、「アメリカに来たばかりなのに、どうしてこんなに英語が出来るのぉ?彼女は・・・彼女は・・・(肩をすくめる)普通じゃないわ!」 と言われた時も、「褒めるなら私を褒めて下さい(It's me to be highly praised!) 」 と自信を持って言えた。
 因みに、娘は普通である。かなりおしゃべりだということを除けば普通の子である。普通の子が普通に日本で英語のシャワーを毎日あびていただけである。

 
 最後に、こんな言葉を吐いておきたい。
 それは、アメリカに来てつくづく思ったのだが、こんなにも英語を普通に話している子ども達が沢山いるのか、ということだ。何を当たり前のことを、と言われるかもしれない。しかし、日本にいるとその事実を忘れていることが多い。でも実際それを目の当たりにすると、将来、自分の子どもがこんなにも沢山の人たちと自由自在にコミュニケーションが取れないなんて、許せない!と思えてくるのである。

 英語は大人になってからやればいいじゃないか、という考えもある。が、しかし、大人になってからは、今まで自分が培ってきたものを総動員して、世の中の人々のために役に立つことを考え実践する時期である。つまり、アウトプットの時期である。そんな時になってから道具の一つである英語をインプットしていたのでは遅すぎるのではないだろうか。この大事な時期に英語に時間を割くのは実にもったいない。(私が実はそのもったいない)

 何が言いたいかというと、英語育児はやはり大事なんじゃないの?ってことである。そして改めてそれに心を尽くしている親御さんや教育者達は偉大だ思うわけである。

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